代替可能人間
どんな仕事でも誰かと代替可能だろうか?
自分がやらないと誰もできない。という仕事はあるか?
基本的に代替は可能だと思う。人間一人のできることはやはり、他の誰かでもやってできることなんだろうなと。
自分に期待して貰える人がいれば応えたいと思うけど、それも他の誰かで良いのならば、あんまりやる気になれない。人の役に立てたとしても、まあ今はたまたま役に立っただけ。自分がやらなかったら誰かがその役割を担ってくれたはず。
そんなこと考えるとちょっと寂しいような気持ちになってきて。結局自分は何をしたらいいのだろうかと思ってしまう。何をしたって結局その程度。僕の代わりは他にもいるから。
うーん、自分は結局、特別扱いをしてほしいと思っていたんだなあ。赤ん坊の気持ちを持って自分は生きている。
それでも思うに、代替できることとやることは違っていて、例えば、自分の家族のことを一番大事に思っているのは自分。自分の赤ちゃんのオシメなら多少ウンコがつこうが替えるけど、他人のウンコだとちょっと無理。そりゃ頑張ればできるけど。
それは代替が可能だけど難しいこと。自分だからできることと言えなくもない。
きっと赤ちゃんも自分にオシメを替えてくれることを期待しているはず。それは他の誰かではなくて。
今の自分では、たくさんの人を一気に幸せにする力はない。
でも現状でも家族や仕事でかかわる近くの人を少しずつ幸せにすることが可能だと思う。その程度の力は自分にだってある。周りの人も、誰も知らない他人より、少しは縁のある人間に期待をしている事はあるはず。
自分も関わりのある人達にとって、幸せのきっかけを与えられるような人間になりたいと思う。少しずつでも自分は代替不可能人間になっていきたい願望があるのだった。
ボロボロ家の屋根に投資する太陽光
今となっては太陽光投資もあまり魅力が感じられない。
設備の償却で10年。土地を新たに取得する場合だったら、回収はもっと先になる。せめて8%くらい残したいと思ったら、土地価格は太陽光設備の2割程度に押さえないといけない計算になる。んー。現実的じゃないかな。。
今回、ボロボロ物件が出てきたんだけど。屋根もそろそろ替えないとかもしれないのよね。そもそもぼろぼろなのにあんまり費用かけたくない。
ここに太陽光載せたらどうかなと。
太陽光に屋根の代わりをさせる。太陽光メインくらいの考え。入居者は入ってくれたらいいかなくらいで。土地と思えば安い。屋根もすでにあるから施工も高くつかないはず。
あとは、この建物が20年もってくれるのか笑
今度SIの人に会ってくる予定。どんな話ができるやら。楽しみ。
世界一早く結果を出す人はなぜ、メールを使わないのか
読書録
仕事をするとは、つまり自分の仕事を自動化すること。
自動化して次の人に渡す。自分は次の仕事ができるようになる。
自動化するために効率的に、簡単に、誰にでもできる作業に落としこむ。
また、自身の成長として、
結論をその場で出す。←メールは持ち帰り文化。その場で結論を出せない。
今より10倍伸ばす方法を考える。10倍となるとやり方を変えないといけない。それがイノベーション。
そして、ときにパソコンやスマホから離れる。瞑想する。自身の心の声を聞こう。
新しい人やテクノロジーとの出会いを大事にしたい。自分で出す結論より、人からアイデアもらったほうが強い。
◯自分がやろうと思ったこと。
銀行とのやり取りの自動化。
知らない人の会いに行こう。
世界でも最先端の街、東京を見に行こう。あと最先端企業も見に行きたい。
名刺交換した人にメールでお礼を送るようにしよう。
瞑想しよう。
自分は何がやりたいのか、と日々悶々としているけども、それすらも人に聞いてしまってもいいのかもしれない。幸い東京は世界でも3本の指に入る最先端年だと。見に行って参考にさせてもらいたい。こうなりたいという未来の姿があるのかも。
また、すれ違う人が運命の人かもしれない。話しかけよう。コミュニケーションを楽しもう。そもそもそういう人格を自分も持っているのだ。
20%の余裕
20%を効率化に使え!と人に言われました。
仕事を詰め込みすぎていると、やがて疲弊してくるということです。
20%を刃を研ぐことに使う。そうしてけばビジネスはどんどん良くなっていく。
いやはや、自分の時間の使い方はどうだ?
なんだかわけわからんうちに時間が過ぎてしまっていることって多い気がする。
20%はどこへ行った?意識して使っていこうと思う。
仕事はエンターテインメントになる
機械化は進むし、AIもすごい!
人間ができないようなスピード作業をして、人間では最早わからない方法で効率化を勧めてくれる。
今後、やらなくてはいけないことは減っていく一方。
衣食住に困る人は減る。むしろ余ってくる。もうお金とかあんまり意味ない。ほとんどの物欲は満たされてしまっているので。
その時人間はどうするか。
人間は楽しめばいいと思う。
「特に理由はないけど、1000人で鬼ごっこしてギネスに載ったら楽しくない?」みたいな企画はほんとに馬鹿げてるし、効率というレベルじゃなく意味ないし。でも、そういうのって楽しそう。
理由のないこと。だけど人と協力して目指すゴール。なんかそのあたり楽しそうなにおいがする。
仕事をしていると、一緒にいい家をつくろう!とか、この数字をみんなでつくろう!とか、結局は鬼ごっこと同じようなことをしてる。
お金はもらえるけど、お金の価値はどんどん下がっていくので、鬼ごっこ自体に価値が出てくる。
以下に鬼ごっこに夢中になれるか。人を巻き込めるか。
自分は今後鬼ごっこづくりに力を入れてみたいと思う。