お金教 〜お金で死ぬ話〜
お金とは交換手段です。
お金自体に価値はありません。
ここは今回の結論になります。改めて書きますが、
お金自体に価値はない。
何かと交換して初めてその意味を成します。
ここまではコトバヅラは納得してもらえることかと思います。
とはいえ、なかなかその誤解を解くのは難しいです。
比較的大きなお金を持っている人も、なおその数字を増やそうとします。
私たちはお金教信者です。多かれ少なかれお金様に振り回されて生きています。
当たり前と思ってしまいそうですが、もともとお金は神様ではありませんでした。
お金の歴史を紐解きます。
山でイノシシを取った人と海で魚を取った人は、物々交換をしていました。
イノシシも魚も持って行くのに重くて不便。
ある時から、お金というものが生まれました。
お金を1単位持っていけば、イノシシ1頭、もしくは魚10匹と交換が可能です。
持ち運びに便利です。
また、魚を大量に釣っても今までは保管方法がありませんでしたが、お金は保管が可能です。
お金の出現によって好きな時にイノシシと引き換えができるようになりました。
お金は交換可能で保管可能な道具です。それだけのこと。
ただ、お金がなくなるということは明日の食料が確保できなくなる可能性を持っているということです。お金がそのコミュニティの中でお金である以上お金は生存保証をしてくれるものと言えるようになりました。
さて、現在。
生存保証の価値のついたお金で逆に死ぬ人が出てきています。
会社をリストラされたので自殺します。
会社の運転資金が見込みがつかないので死にます。
そもそも現在の日本では、お金なんてなくても死にません。
なんなら、エアコン付きの快適な部屋で、ジュースを飲みながら寝っ転がって、スマホでゲームして過ごせます。
何になぜ人はお金を失うと命まで断つような行動に出る人がいるのでしょうか?
それがお金教です。
あたかもお金を持っている人は偉い。お金がない人は価値がない。という考えをあなたも持っていませんか?
お金は生存保証の道具であって、お金がなくなっても死ななくていいのです。
ましてやお金があろうとなかろうと、あなたの価値は変わらないし、お金自体は銀行口座の文字に違いがあるだけです。ほとんど意味がありません。
お金から何を得たいか。
ゴールはその先になります。
お金は交換の手段。
それ以上でも以下でもありません。
不労所得を考える上で、お金目的とするといいことがありません。
断言しますが、本当にありません!
この点を踏まえて次に行ってみようと思います。